2015年4月10日金曜日

第5章 組織とレジスタンス

1993年 【サムライスピリッツ】【餓狼伝説スペシャル】発売。

時代は100メガショック!の全盛期。

当時はメガの意味も知らなかったけれど、何か分からんがすごい!という理解の仕方w

ちなみに初代餓狼伝説は、近くの駄菓子屋ゲーセンでのプレイが主流だった。
当時のSNKは、筐体を貸し出してプレイ料金で回収するというモデルで、おもちゃ屋の店頭に置いてシェアを広げていた。
竜虎2とか、ゲーセンよりもこっちのが先に入荷してたしねw

初代サムスピは何故だったかは忘れたけれど、自分はほぼ未プレイ。
最初にガルフォード触っちゃった ※ からかなぁ、、、?
とりあえず難易度最強で、CPUに投げられたが最後だった事は覚えてる。
王虎やタムタムだと10秒以上離して貰えなかったし、幻庵に投げられた時は一瞬で体力の8割持ってかれて一本!www

 ※ ガルフォードは超弱かった

とまぁ、スカイのCPU難易度は大体最強クラスに設定されていたw
前回出た天地を喰らう2も、難易度こそ普通だった(?)けれど、初期数は少なくてエクステンドは一回のみ。
なので2面の夏侯惇マジ鬼門。
林君※の打撃3+1とかやられたら悶絶ですよ。

※ 雑魚敵 RINの事。
 弓兵のくせに近距離打撃がやたらと痛い。

店長に聞いたら、エクステンドはどのゲームも一回のみに設定してたらしい。
ゼロにしないのが


そんな中、「餓狼伝説スペシャル」発売。
キムを使ってたワタクシ、強キャラパワーも相まってめきめきと頭角を現す。
身内以外にはほぼ負けないので、普通に勝率9割近くとかだったんだよね。

で、その「身内」って線引きが難しい所で、今だと同じゲーセン常連の事を指すんだけど、当時はコミュニケーションが難しいリアル厨二時代。
同じ常連でも、ある年齢層で分かれちゃってた訳ですよ。

その時代だと、ざくっと高校生以上層と、俺ら中学生層。
(大人は18時以降なのでまだ関わりのない別勢力)
この2勢力こそがスカイの格ゲー勢力。
またその高校生層が強くて、基本的に押され気味。

なんで、スカイに行くとまず、高校生層が何をプレイしてるかチェックする訳ですよ。
ゲームが被ると負ける率のが高いもんだから、貴重な50円を浪費しちゃうからね。
小遣いなんて、月に1000円ちょっととかの時代だから50円は超大金。
高校生は資金面からも強かった。

スカイに行くと「ねぇ、”ヤツら”は今日は何プレイしてんの?」 と聞いて、基本的に違うゲームをプレイする日々。


そんなある日、ある仲間が「あの”組織”のヤツら・・・」と言い始めて、リアル厨二全開の俺らはその響きに”ヤラレ”ちまった。

その日、ゲームスカイに「組織」が誕生したのである。

ちなみにそう言い出したのは、後のゲームスカイ店員でもあるSTR。
そのセンスある言動は、自分の中では大須晶と並んでジェラシーしまくりの人物。
ここを見ている豪傑マニアなら知っているだろうけど、あのセンスクラスな訳ですよ。

※ どちらも先輩だけど、とりあえず敬称略。
  まぁ自分が最年少タイだったので、ほぼ全員先輩な訳だけどw

となると「組織」に対抗する勢力である我々は、そう! 「レジスタンス」
その日から「組織」と「レジスタンス」の熾烈な戦いが始まったのである・・・

※ リアル厨二時代です。

2015年3月12日木曜日

第4章 スト2ダッシュと対戦台登場

大須晶でてきます!
やっとタイトル詐欺じゃないっす!


1992年 【スト2ダッシュ】発売。

あの四天王が使える!? マジで!? という事で、とてもワクワク。
このワクワク感は今では味わえないのが、大人になってしまった証しか。

そして、この頃から対戦台というものが設置される。
現在とは違い、テーブル筐体を横並びか向いに並べたものなので相手の顔はまる見え。
一応、並行してノーマルスト2でも対戦台作ってあったけど、「真空投げ ※」ばっかとかカオス台だったw

 ※ ガイルの有名なバグ技で、ありえない間合いからいきなり投げられる

で、肝心の対戦だけど、いくらガキの中では最強といえどもそんな勝てないのよ。
高校生とかさすがに俺らより金持ってるから、 それなりにやり込めるし。
それにそのぐらいの年だと、慈悲とかまったく無いんだよねw
ベガ使ってきて、サイコハメならともかく、ダブニーハメを永久にやり続けてきてダブルパーフェクトぶっ殺されオンリーコミケ。

まぁ、こっちも中足波動ぐらいしかできなかったから、技術的にも届いてなかったから仕方ないか。


ベガ以外で、ダッシュの対戦で記憶にあるのは、超強い人が来た時。

当時は対戦に嵌ってた訳でもないし、細かい情報は知らないんだけど、その人は「チャンピオン」と噂されてた。
どっかの大きい大会で優勝したんだろうねぇ。
ゲーメスト杯の太刀川さん説が有力?

もちろん勝ちまくりで、横並びの対戦台付近は挑戦者で大盛況。
んで俺も中足波動ぐらいしかできないリュウで無謀にも挑戦。
知らない大人から、この人は強いからやめとけみたいな事も言われたような気がw

でもそこはさすがのチャンピオン、余裕のある立ち回りで一本取らせてくれる慈悲。

今なら、かかったなアホが!、舐めプの代償を払ってもらうぜhehe!

となるけど、アホなのはガキのワタクシな訳で、俺1本取ったから実は他の対戦者よりもいけてるんじゃね?とかハイパー勘違い。
いやー、小学生じゃなかったら恥ずかしすぎる記憶w

そして大須晶との出会いの最初の記憶。
サガット使っててもちろん強かったような・・・
むしろ同級生が負けて「あのサルが~」とか言っていたような・・・
※ サルは俺が言ったんじゃないよ?w


そんなこんなで対戦台があるのが当たり前になった頃、【スト2ターボ】登場
正式にはダッシュターボね。

どうやらコピー基板対策の為に急遽発売だったらしいけど、ゲームスピードが超早くなってたり、結構バランス調整されてたり、空中技系の追加で、中々楽しかった記憶。

この1年で自分もちょっと強くなってきてて、対戦もそこそこ勝てるようになってた。
まぁ、リュウ使ってたのもあるけどw
(竜巻に無敵があって、かなり強キャラ)

この頃の対戦の思い出は、「ハメ禁止」
ガードさせて投げが禁止。
実際、抜けられない事が多かったしね。
当分の間、この風潮が続くのでこの時代を過ごした人なら分かるはず。
間違って投げちゃったら一回投げて貰ったり。
もちろん、悪い人もいて投げじゃなくてアッパー昇竜の超ダメージ入れてきたりねw
リュウの竜巻投げをハメ扱いしてくる人もいたりと定義が混合。
(確かに何故か下降中にも無敵なのでゲームスピート速くて返し辛くはある)

ただし、スカイの面白い所はこれを逆手にとって、「ハメ台」を導入した事。
ハメあり何でもありの張り紙してあるの。
もちろんテーブル筐体で相手を見れる訳で、ハメた方もハメられた方も相手の顔を見てたり
と面白いw


んで、今では考えられない事も行われてた。
「画面反転」

昔のゲームってのは、プレイ開始できるのが1Pからしかできなかったんだよね。
2Pのスタートボタン押すと、2人同時プレイできるけど、対戦を1プレイやってそれで2人とも終了みたいな形態がほとんどだったのよ。

なので、スト2も一人用は基本1P側でのプレイになる。
 ↓
つまり練習が1P側ばかりになる。
 ↓
2P側じゃ昇竜拳できない!
 ↓
対戦も1P側でやりたいなぁ~っていう人が多い
 ↓
ピコーン! 2Pを1Pにすりゃいいんじゃね?

と、これを解決したのが、「画面反転」
2P側の画面が左右反転してて、2P側でも1P側と同じように入力すれば技が出る!
ある意味画期的なシステムですよ!

ただ、俺は2Pのが昇竜出せる人(今も)だったので、ありがた迷惑のシステムw
しかも左右反転してるので残タイムが見辛いおまけ付きw

システム面で足りない部分を、現場のハードやオペレーションの工夫で補った時代って事だね。


他では、「餓狼伝説2」でも対戦台が設置。
これはアップライト筐体の横並び。
まぁ、アンディの残影ハメで終了だったけどw
(残影拳→P→残影拳~が割り込めない)
連続技の概念が無いんだよね、このゲーム。

格ゲー以外では、【天地を喰らう2】が大ブーム。
これがかなり並んでたんですよ。
そんな中、一人プレイする奴がいて顰蹙もの。
でもそういう奴に限ってやりこみ勢で、関羽で最後の方まで行く始末w
1時間弱コースですよ。

でも基本は3人プレイ可能台だったので、皆でワイワイと。
そういえば、この頃から学校内の同級生だけじゃなくて、スカイ内で年代が近い常連と遊び始めてたかな。
大須晶(魏延)と3人プレイしてた記憶あるし。

【ぷよぷよ】では、階段速攻5連鎖やってたなぁ・・・
 ぞう大魔王あたりから急に難易度上がった記憶が。
久々にやってみたら、初代はぷよとぷよの隙間に入ると回転できないって鬼畜仕様だったんか!

ちなみにスカイ店長は【コスモギャングザパズル】を結構やっていた気がする。

2015年2月22日日曜日

第3章 スト2登場

テーレッテー♪  テッテテレテレテーレッテー♪(適当オープニング

1991年 ストリートファイター2登場。

格ゲーの歴史はここから始まったと言っても過言ではない衝撃。
社会現象にもなったぐらいで、どこも長蛇の列で大人から子供までプレイしてたよね。


この頃になると、多少お小遣いも増えたので駄菓子屋も併用しながら本格的にゲーセンデビュー。
満員御礼行列インベーダーを知らない自分世代では、初めて並んでゲームするという体験。
見てるだけでも楽しかったから、並んでても全然苦じゃなかった。

もちろん対戦台はなく、ほぼ対CPU一人プレイオンリーコミケ。
初めて四天王にいけた時の興奮とか、あれは当時しか味わえなかったよね。

パターン化という言葉を覚えたのもここが初めてかな?
ザンギ戦は垂直J大Kのみ、バイソンは中足で飛ばせて落とすとか。

ボーナスステージでは昇竜拳 < 中足波動 < アッパー昇竜と、練習の仕方によってその人の実力が分かったり。
ガイル3段とか、初めて見た時にはカッコよすぎて失禁もの。
スクリューハメしてる人はもう子供心にヒーローですよ。

※ 半回転じゃなくてきっちり一回転しないとスクリュー出せなかった

ここらへんは皆も共通の思い出じゃないですかね?


さて、肝心のスカイは、確かテーブル台を並べて2台稼動だった記憶。
夕方に行っても(というか、夜は帰らないといけないので遊べませんw)4~5人は並んでて、非常に活況。

なので混んでいた時はやや空いていた近くのゲーセン(カントリー)でやったりしてた。
最終的にはザンギとダルシムを除いたキャラで1コイン ALL。

後期は、ディップスイッチを弄った?のか改造基板?で、超高速スト2がちょっと流行ったり。
なぜか3~4人目ぐらいで四天王戦になって、ゲームスピードだけでなく、そこも何倍化してるのかーと、子供心に勝手に納得したり。

その他ゲームでは、駄菓子屋ゲーセンで【大工の源さん】2周1コイン ALL。
デフォルトのハイスコアの「みいやんはっぽうさい」だったか、2周目前提の数字で更新させる気ないだろと思った記憶(更新した時は興奮した
なお、クリアできるようになった後、同級生は1面の1UP取ったら死ぬを永久に繰り返してハイスコアを狙っていた(恐らく初期基盤のみ)

近所のゲーセン(カントリー)で 【カダッシュ】をラスボスまで行ってたり。
同級生も同実力で、なぜか名前を海産物にするのが流行ってたのでスコアネームでお互いのプレイ履歴が分かるという。

とにかく資本が無い小学生、1コインで長く遊べなきゃねー。

2015年2月20日金曜日

第2章 駄菓子屋ゲーム王

時代はキラキラ小学生。

この頃になると一人じゃなくて友達とスカイに行くようになってた。

当時から1クレ50円と良心的な料金だったとはいえ、さすがにその年齢だと超絶な金額。
駄菓子屋に100円を握り締めていけば一日遊べる年齢。
大須は下町だったので、当時は路地裏におばあちゃんがやっている駄菓子屋があった時代。
もちろんそれ以外にも何件もあったので、色々めぐってドッキリマンシールやらのパチモンカード引いたり


※ 「引き」と言い、冊子になっている所から一枚袋を引く。
 

ヘッドというかプリズム系は素材が柔らかいので、さしたる情報も無いのにその経験から当時からサーチが行われていた。
子供の知恵ってのは、時たますげー。
しかし皆がサーチして揉むので、ノーマルカードも柔らかくなってしまい、すぐに機能しなくなったというw
確信を持って引いたら雑魚カードだった時のショックはひでぶものですよ。
20円の巨費がただの紙切れですからねぇ。
まぁ、カードダスもそうだけどw

閑話休題


駄菓子の「ヤッターメン」で100円が当たったら大興奮で、友人問わず自慢しまくりの失神もの。
なので50円といったら、今の体感価値にすると500円に感じる超絶な金額ですよ。

従いまして、スカイやらすぐ近くのゲーセン(当時は同じ町内に合計3軒もゲーセンが存在)に行っても、プレイもせずにほぼベガ立ち。
しかも子供なので遠慮せずにベガ立ちどころか、隣に座ったりして張り付くので、マジうぜぇw

1コインで10分ぐらいプレイできる、ファミコンが入ってる?筐体で、ボタンでソフト切り替えられるのだと、優しいサラリーマンが残り数分になったら、やらせてくれたりしてめちゃ嬉しかった記憶が。
スーパーマリオとか、バルーンファイトが入ってたりするんだよねー。

しかし、そんな俺らでも金を投入してプレイする機会が!
両替機の下を覗き込んで、落ちてる50円をゲットw
マジでコジーですよw
まぁ、子供のやる事だし、ちゃんとゲーセン内で消費するから、店員も見逃してくれてたんかなー。
毎日一回は発見できたので、むしろ誰かが俺達の為に落としておいてくれたまであるw

そんな貴重な50円で何をプレイしてたんかなー。
ヴォルフィード】【ミズバク大冒険】は結構あとの方だったし、【ダライアス初代】は100円だったし(2画面の屋根付きのガチな方)
たぶん【奇々怪々】辺りなんかじゃないかと。
でもそれはスカイじゃなくて、近所の無人ゲーセンにあったはずだしな、、、
ちなみにそこには【ムーンクレスタ】もあって、リーマンが華麗に合体させてるのを見て、俺も~とやってみたらドッキング意外にむずくて死ぬのなw
もちろん【ギャラクシアン】もあって2機並べて無双するつもりが、結構簡単にやられて元の木阿弥とか。
いやはや、今のシューターは間違いなくすごいけど、当時のリーマンも中々捨てたもんじゃないと思うよ。
派手さはないけど、地味に難しい事やってたりしてたもん。



んで、自分でお金を投入してプレイする機会は他にもあって、それは・・・

おもちゃ屋の店先筐体

と言っても俺らキッズからすると、普段買ってもらえないおもちゃ屋というよりも駄菓子屋感覚。
もちろん古いゲームばかりで、しかも立ちプレイになるんだけど、1プレイ20円!
うまい棒2本を我慢すればゲームがプレイできるとあって、子どもたちに大人気。
コンセントを自分で差して電源入れたりするのがまたローカル感w

んで、ご他聞に漏れず、いもらうも夢中。
幼稚園の頃から見てきたゲームの才能がここらで開花したようで、駄菓子屋ではNo.1の腕前に。
といっても、格ゲーはないので対戦ゲーもほとんど無かったけれど。

なお2021年現在も存在する『だるまや』(謎の看板で今も有名)、『ふくすけ屋』の2店の事です。
さすがにもうおもちゃのみで、筐体や駄菓子はもう置いてないけど。


- だるまや side
【バブルボブル】は、最終的には1コインで80面あたりまで行ったものの、基本的には鬼門の42面でゲームオーバー。
アイテムパターンなんて存在知らないし、隠しコマンドなんてもってのほか。
学生がふらっと立ち寄って隠しコマンドで最強モードにしてたのを見て、何それー教えてーとせがんだっけw
(結局教えてもらえず。)

【熱血硬派 くにおくん】はヤクザの事務所までは行くものの、チャカで撃たれて死亡確認。
みすずは衝撃だったw

【デスブレイド】はゴーレム使ってたので同キャラドッペルゲンガーが固くてタイムアップ負けが多く安定しなかったものの、いちおう1COIN ALL。
ダッシュで自分から針に突っ込む → 敵も突っ込んでくる×nの攻略を発明した同級生により多少安定化。

- ふくすけや side
 「ファンタジーゾーン」は2週目クリアまで。
当時打ち返し弾の存在を知らず、毎回いきなりの死亡で結局理解できずにそこまでだった。

【レインボーアイランド】もノーマルの最終面近くまでいけてたかなー。
レインボースペシャルを手に入れた一回だけ、裏面というかステージ10まで完全クリア!
今調べて初めて知ったけど、33ゲーム目に出現って、そりゃ未プレイ時は電源切る駄菓子屋ではまず出現しなかった訳だw

結構先の話になると【ウルトラマン倶楽部】は1コインクリア。
ボタンメンテに来たあんま分かってないっぽい兄ちゃんが、八つ裂き光臨出して(ゲージ消費量が多くて一回しか出せない)、まだボタン効かないなんでだ?と悩んでいた記憶。
カーソルデフォルトがウルトラマンだったのが悪い。
なお教えてあげてそのままプレイさせてもらったw

そんな感じで、20円で数十分もプレイしてるとキッズ達が寄ってくるわけですよ。
(自分もキッズだけどw)
隣に椅子とかもないので、もう密着覗き込みで、左右はもちろん上下まで塞がれてムワッシャーみたい事もw
いやマジではたから見るとすごい光景だったっしょー。
大人から見たらゲームはなんか危険!と思われてもしゃーない。

こんな感じでスカイ本格デビューの下地を作ってた。

あ、スカイがメインじゃない理由はもう一つあって、もちろん学校ではゲーセン禁止なw
それでも無視して毎日行ってるクソガキなのであった。

2015年2月19日木曜日

第1章 いもらう、スカイと出会う


実は出会いの覚えは無かったり。

ただしめちゃくちゃ近所だったので物心ついた時には既にスカイに行っていたらしいw

 「幼稚園の頃から行っていた」(母親談

何度連れ出されても行っていたようなので、生まれた時からゲーム脳だったと思われるw

もちろん当時からタバコもくもくの超絶不健康ワールド。
空気をキレイにしようと外の新鮮な空気を吸って、中に入って吐き出してみたりと、子供ならではの意味不明なアホな事をやってましたわ。
でも、こんなに大きくなりました(現身長179cm

ちなみに、自分の年齢よりもスカイの歴史は長いので、さすがに1980年開店?の最初期のスカイはどうだったのか不明。
インベーダー発売が1978年なので、インベーダーブームにあわせての開店なんだろうね。

※ インベーダーブーム真っ只中はメーカーが卸してくれなかったらしい。
   なので、ブーム後の余り始めた筐体を安く買ってやりはじめた?

開店して3年後に移転(と言っても、数十メートル移動しただけ)


自分が初めて行った時の稼動筐体の記憶はさすがにないものの、2000年代のスカイでは1985年発売の「スカイキッド」を倉庫から引っ張り出してきて稼動させてたので、多分当時はそこらへんが稼動していたんじゃないかと。

なので、「グラディウス」「ドラゴンバスター」「イーアルカンフー」あたりの稼動を推測。

ちなみにスカイキッドやピストル大名は閉店時にも基板が残ってたw

自分がスカイでゲームを最初にプレイした間違いないものとしては、テーブル筐体ではなく背の低い赤色の対面?と珍しい筐体に入っていた、「エキサイトバイク」を親に連れてきて貰ってプレイしたのが最古の記憶。
しかもゲーム内容よりも、いきなり1クレ飲まれた記憶のが鮮明だったりw
生涯一度しかないファーストプレイにこの体験できた人はそうそういないでしょう。

こんな感じのスカイとの出会い。